12月25日(火)共同通信配信の記事掲載新聞が届きました
日本にサッカーが伝わった後、初めて体系的に技術指導をしたのは、ミャンマー人であることは、ほとんど知られていません。まさに日本サッカーの父というべき人物ウ・チョーディンについて、過日、共同通信社より取材された内容が、京都新聞、佐賀新聞、熊本日日新聞、愛媛新聞、信濃毎日新聞、北國新聞など各地の新聞社に配信されました。(2月に西日本新聞にも掲載予定)
戦後、1950年代のミャンマーは、第三世界において中心的な一角を担う東南アジアの地域大国。当時の首都ラングーンは、シンガポールの都市建設においてモデルとされました。
サッカーについても、アジアの強豪として名を轟かせました。そんなミャンマーにとって、日本はサッカー後進国。ただただボールを蹴るだけ日本人サッカー選手たちに、初めて論理的にサッカーの戦法を教えたのが、大正時代の日本に留学したウ・チョーディンでした。
※ウ・チョーディンについての詳細はこちら
https://badauk.com/nitijou/ijin/ukyawdin/